〈自然〉五感を開いて、樟を感じて、歩く。
太宰府天満宮の境内で、一年中青々とした葉を茂らせる樟。最も古い大樟は樹齢1,500年を越え、菅原道真公がいらっしゃるころからこの土地を見守り続けてきたと伝えられます。この樟とともにアートプロジェクトに取り組んでいるアーティスト・五十嵐靖晃さんとともに、境内の樟を見ながらそぞろ歩きました。
そぞろ歩いた人
アーティスト五十嵐靖晃さん
人々との協働を通じて、景色をつくり変えるような表現活動を各地で展開。代表的なプロジェクトは「くすかき」(2010〜)のほか、「そらあみ」(瀬戸内国際芸術祭2013・2016)、「雲結い」(北アルプス国際芸術祭2017)、「時を束ねる」(南極ビエンナーレ2017)など。東京2020オリンピック・パラリンピックでは東京都による文化プログラム「TURN」プロジェクトメンバーを務めた。
次の葉が落ちてくる場所を整えている
- 五十嵐さんはどのような経緯で樟と出会ったのですか?
-
五十嵐
平成17年に九州国立博物館が開館した時、恩師である日比野克彦さん(現東京藝術大学学長)のアートプロジェクトで太宰府に滞在したのが、樟との出会いです。ちょうど4月から5月にかけての「樟若葉」と呼ばれる季節で、まず春に落ち葉を散らす木があるということに驚きました。樟は、昨年の葉を押し出すようにして今年の若葉が芽吹くので、落葉と若葉の季節が同時に訪れるんですよね。
神職の皆さんの落ち葉掃きをお手伝いして、さらに驚きました。ほうきで掃いて縞模様ができたところに、次の一枚が降り落ちてくる。見上げると、パラパラパラと次々に葉が落ちてきて、風景が元に戻っていく。
-
これっていったいなんなのだろう?と考えるうちに、「掃除ではなく、次の葉っぱが落ちてくる場所を整えているのだ」と思えてきました。太宰府天満宮の歴史は1,100年を越えていて、樟も1,000年以上生きる樹木です。ということは、ここにいる人たちもまた1,000年以上に亘って次の葉が落ちてくる場所を整え続けてきたとも言えるのだと気づいて、鳥肌が立ちました。この落ち葉を「掃く」というひとつの所作で、時間や空間を超える感覚があったのです。過去の人も、そして未来の人も同じ所作をしていることを想像すると、まるで同じ世界にいるようだと思いました。
- その出会いから、「くすかき」というアートプロジェクトの形ができてきたのですね。
-
五十嵐
どうしたら私が感じた震えるようなおもしろさを共有できるだろうかと、その後4〜5年ほど天満宮に通って樟を観察させていただきながら考えました。
かつて天神ひろばに千年樟という大きな樟がありましたが、酸性雨や長年地面が踏み固められたことが影響して、平成6年に枯死してしまったことを知りました。その話をうかがい、かつて存在した樟という「目には見えないけれど大切なものを感じる」参加型のアートプロジェクトを始めました。一度きりのワークショップではなく、樟にならって1,000年の続くことを祈って平成22年から毎年行っています。
- 「くすかき」では、どんなことを行うのですか?
-
五十嵐
春の樟の葉が落ちる季節の3週間ほどを会期として、毎朝6時半から参加者とともに境内の樟の葉を”搔き”集めます。最終日には樟の搔き上げとして、集めた葉で皆さんと一緒に、見えない千年樟の姿を描きだそうと試みています。
具体性がからだの中に降り積もる
- 国の天然記念物に指定されている大樟が象徴的ですが、太宰府天満宮には境内だけでも51本の樟があり、少しエリアを広げるとその数は100本を超えます。長年に亘ってじっくり樟と向き合ってみて、いかがですか?
-
五十嵐
例えば大樟(ページ下部の地図番号1)は丸くて大きな葉、太宰府天満宮幼稚園の前の樟(地図番号3)は真っ赤な葉、夫婦樟(地図番号6)は大ぶりで細長い葉を落とすなど、一言で樟と言っても、一本一本性格というか個性があります。
-
落ちてくる順番というのもあって、葉を落としたあとは、小さい枝が落ちてきます。枝がだんだん大きくなると、そろそろ落葉が終わるころだと分かります。最後に花が咲きます。落葉が早い木もあるし、のんびりした木もあります。
音もね、変わるんです。枝に若葉が出たばかりの時は、ふわふわで柔らかくてまだ音がしないのですが、葉が育ってくるとサワサワと葉擦れの音が聞こえ始めます。落葉が多い時はパタパタという音がします。見上げると若葉の緑が美しくて、自分が生と死の間に立っているような感じがします。
- 一本一本の樟の特徴を把握されていて、まるで友達の話を聞いているみたいです。アートプロジェクトとしてのコンセプトはありつつも、五十嵐さんの中にたくさんの具体的な経験が積み重なっているのがよく分かります。
-
五十嵐
正直に言うと、くすかきをやりたいというより、この季節にここにいたいのかもしれない。一年で一番自分が健やかになれる季節です。毎朝早起きをして、劇的に変化する樟と一緒にいると、うまく言葉にできませんが、パワーを受け取れるのです。新陳代謝が起きているのかな、初日と最終日で自分の顔つきが変わっているのを実感します。
-
くすかきに参加してくれている人たちも、それぞれに不思議な感覚があるようで、「境内の清掃でご奉仕できたらと思って始めたけれど、違う魅力にはまってしまった」とか「子育てで落ち着かない日常の中、くすかきをしているとゾーンに入る感覚がある」とか、それぞれが感じているものを語ってくれます。一緒にくすかきをしている子供たちも、この期間でぐっと成長します。本当にすごい木です。
落葉のピークの時は、掃いても掃いてもお手上げなんて日もあります。だけど、ほうきを持っているみんなでしばし天を見上げて呆然とする、あの感じも楽しいんですよ。
樟は時空を超えるタイムマシーン
- こちらの樟(地図番号4)には、大きなウロがありますね。中が真っ黒に焼けて炭化しています。
-
五十嵐
ずっと以前に雷が落ちたそうです。樟は油分が多い木なので、なかなか火が消えなくて大変だったと聞きました。これだけ燃えてもよく生きていましたよね。幹はまるでおじいちゃんのようだけど、枝からは若葉が芽吹いています。
-
毎年集めた樟の葉を精製して、樟脳を作ります。樟脳と言えば、大航海時代の船には、ストームグラスという天気予報のための道具が積んであったのをご存知ですか?瓶の中のエタノールに樟脳を溶かしたもので、それが結晶になるようすを観察して、天気を読んでいたと言われています。
私は最初に太宰府に来る前に、半年ほどヨットで太平洋上を航海していたことがあります。360度見渡すばかりの水平線に囲まれ、太陽が上って沈んで、夜になると星が出て…。そのような環境では、自分がどこの何者かが分からないよるべなさが、からだの中に蓄積していくのです。
そのプロジェクトを終え、太宰府に通うようになって、神様が天上と地上を行き来する時に乗られた鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)が樟でできた船だと伝えられていることを知りました。その時「あぁやっと帰ってきた」という実感を得たのです。
以来、私自身は太宰府天満宮という場所に、海を感じてきました。ほうきで掃く音は波を感じさせ、掃き終えた境内は海原のようです。樟が船として、天神さまとの間をつないでくれている感覚です。
- 樟を中心に時間や空間が広がり、視点もミクロになったりマクロになったりと、縦横無尽で刺激的なお話ですね。
-
五十嵐
先代宮司が「五十嵐くん、樟はタイムマシーンだよ」とおっしゃったことがありました。自分の感じている感覚は、まさにその言葉に尽きます。
境内には、自由律の俳人・荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句碑も残されています。「くすの木千年さらにことしの若葉なり」。井泉水も私同様に、樟を見て、時間旅行をしていたのでしょうね。
五感を開くことができる場所
-
五十嵐
海から街に帰ってきて、都市の情報を処理できなくなっている自分に気づいたことがありました。看板の文字がうまく読めず、視覚には届いていても頭に入ってこなくて、太陽の方角に助けを求めてしまう、みたいな(笑)。五感が開いてしまったまま都市部に来ると、そういうことが起きるんです。
私たちはふだん無意識的に、たくさんの情報を処理できるようにある程度感覚を閉じ、取捨選択をすることで、自分に負荷がかかりすぎないようにしているのだと思います。都市生活の割合が多いと、感性を閉じる力が強くなり開く機会がなかなか持てません。太宰府天満宮もまた海同様に「開かせてくれる」場所です。
- 街の中にあって、開くことができる場所というのは貴重なのかもしれませんね。
-
五十嵐
そのために樟が果たしている役割はとても大きいと思います。私が「不思議な木だな」と感じていることは、鎌倉時代の人も江戸時代の人にもそういう瞬間があったはずです。くすかきも、自分ひとりで考えたことではなく、たまたまこのタイミングに居合わせたという感覚が強いのです。
- 英語のcalling(天職)は、神様から与えられた使命という意味を持つそうですが、くすかきもまるで神様と呼応して決められたようですね。
-
五十嵐
最初の1,2年は、自分の頭の中だけで考えているような苦しさがあったのですが、「本当に続けたいことはなにか」「大切なことの中心はどこか」ということを、絶えずこの場から問い返されてきたような気がします。
太宰府天満宮では明治時代からずっと筆と紙で日誌が書き続けられていて、日々のおまつりや天気などが記され宝物殿に保管されているそうです。その中にくすかきの記述もあると教えていただきました。自分のやっていることが太宰府天満宮の一部となり、私がこの世からいなくなっても「くすかき」が続いていくかもしれないことを想像すると、自分のやっていることに確信が持てるようになりました。
-
もともと神社という場所に対しては、「なにかを守り伝えている場所」というイメージを持っていました。太宰府天満宮は同時に、いままさに新しいことに挑戦し、時代と呼応していることを強く感じます。私がそれを知ることができたのは、樟を通して太宰府天満宮と出会えたからだと思います。
— 今回そぞろ歩いた場所
-
大樟
樹齢1,500年を越え、国指定天然記念物に指定されています。高さ28.5m、根回り20mの大きな樟です。
-
かつてあった千年樟
天神ひろばに存在した「千年樟」は、酸性雨や地面が固くなったことが影響し平成6年に枯死しました。
-
幼稚園前の樟
大きく枝を広げ一年を通して青々とした葉を繁らせる樟は、夏には境内に心地よい木陰をもたらします。
-
雷に打たれた樟
落雷の際にはなかなか火が消えず、中心部の幹は空洞になっていますが、今でも枝葉はいきいきと繁っています。 ※一般非公開
-
五十嵐さんお気に入りの樟
くすかきの時に最も身近なのが、天神ひろばに2本並ぶ樟。「昔から知る仲間みたいな気持ち」とは五十嵐さん。
-
夫婦樟
御本殿裏に2本の樟が寄り添って立っています。2本ともに大きく根上りしているのが特徴です。
-
荻原井泉水の句碑
荻原井泉水の自筆で句が刻まれています。井泉水は自由律俳句を唱え、俳壇に大きな影響を与えました。