〈アート〉アーティストの思考をたどって、歩く。
太宰府天満宮の境内のいろいろな場所では、常設の展示として現代アートを見ることができます。一見つながりが見えにくい「神社」と「アート」には、いったいどんな関係があるのでしょうか?太宰府天満宮文化研究所の学芸員で、これらの作品のキュレーションを担当してきたアンダーソン依里さんと、実際の作品を鑑賞しながらそぞろ歩きしました。
そぞろ歩いた人
太宰府天満宮文化研究所 学芸員アンダーソン依里さん
太宰府市出身。西南学院大学で学芸員資格を取得後、太宰府天満宮文化研究所に奉職。その後渡英し、エセックス大学でアートマネジメントを学ぶ。帰国後は田川市美術館、太宰府天満宮文化研究所に奉職。「太宰府天満宮アートプログラム」など、様々な展示の企画運営に携わる。
中心にあるけど、見えないものはなに?
- 参道から鳥居をくぐって、多くの参拝者は左の太鼓橋の方に向かいますが、ここを右手に向かうと浮殿があります。
古い木造のお社の中にキラキラ光る大きな球体が見えます。 -
アンダーソン
ライアン・ガンダーの、その名も「本当にキラキラするけれど何の意味もないもの」という作品です。
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この球体の中心には磁石があって、たくさんの金属片が吸い寄せられてできています。圧倒的な存在感ですが、それを形作る「磁力」は目に見えません。ライアン・ガンダーは、太宰府天満宮アートプログラム様々な分野において第一線で活躍中のアーティストを招き、太宰府での取材や滞在を経て制作された作品の公開を全面的にサポートすると同時に、これらの作品を地域の財産として収蔵することで、文化活動を牽引していく役割を担う。に先立って構想を練るために天満宮を訪れた際、参拝者が祈る神様が目には見えないことにとても興味を抱き、「大切なことが目に見えないとは?」「見えないものを信じるとは?」という点にフォーカスしていきました。
よく「なぜ神社でアートを?」と聞かれるのですが、実は順番が異なっていて、アーティストはなにかしらのきっかけからインスピレーションを得て、作品を生み出します。そのきっかけが「神道」や「神社」であるのだと思います。
もう一つ、菅原道真公が文化芸術の神様であるということも大きな理由です。学問の神様であることはよく知られていますが、優れた詩人でもあり文化に造詣が深い方でした。さらに神社には古来、それぞれの時代の最先端の素晴らしい芸術品が奉納されてきました。いま太宰府天満宮が行っているアートプログラムは、その役割を現代で果たしているといえるかもしれません。
中心とはなにで、どこなのか?
- もともと神社そのものが、アートが集まる場という役割を持っていたということですね。
さて、だざいふ遊園地の前まで歩いてきました。地面に文字が描かれています。「ひとつの中心のその中心/THE CENTER OF A CENTER」。同じ言葉が、3つ別々の場所に配置されています。そしてまた中心についての話題ですね。
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アンダーソン
これはローレンス・ウィナーの作品です。この作品をご覧になって、皆さんどんな感想を持たれるでしょうか?アートのおもしろいところは、見る人によって多様な受け取り方ができるということです。私もまだまだ咀嚼している最中ですが、例えば、「神社というのは、もともと地域のセンター的な存在だった」ということを入り口に、さらに自分が立っているところが、その瞬間には宇宙での中心になっている、というふうに考えられるかもしれません。
- それが複数あるということは、中心は一つではないという示唆かも。
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アンダーソン
そうですね。明確な答えが示されてないからこそ、作品を見ながら他の人と話したり、様々な楽しみ方ができると思います。
信仰を生むのは、対象そのもの? 信じる人々の存在? それとも時間?
- つづいて御本殿の裏手にやってきました。
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アンダーソン
ちょっと険しいですけど、坂を登りますよ(笑)。この山道の途中にあるのが、サイモン・フジワラの作品です。
- 大きな岩に、松葉杖が刺さっていて、まるでアーサー王伝説の抜けない聖剣エクスカリバーみたい…。
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アンダーソン
実はこの岩、コンクリートで作られたものなのです。そこに松葉杖が刺さっている。
サイモン・フジワラはこの作品で、信仰について考えようとしています。彼はこの作品を作る時、フランスにある「ルルドの泉」を想起していました。そこは病気の人を癒やす奇跡の水が湧くとされ、来る時に持ってきたにも関わらず、帰る時には治癒して必要がなくなった、多くの杖が納められていて、カトリックの聖地となっています。健康や生命に対する人々の希求が、信仰を生んだ例といえるかもしれません。
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作家は、太宰府天満宮が信仰され続けてきたことについて、はたしてその信仰を生んだのは神様の存在なのか、それを信じた人たちがいたからなのか、1,000年余りの時間が培ったものなのかについて考えます。そして自身が作ったこの「フェイクの岩に刺さった松葉杖」もまた、信じる人がいれば1,000年後に信仰の対象になる可能性があるのでは?と、作品を通して私たちに問いを投げかけています。
- 1,000年…。途方もない時間に感じますが、実際に太宰府天満宮はそれだけ昔から続いてきた場所ですものね。
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アンダーソン
それだけの時間を包含している場所であるという点もアーティストにとっては刺激的なようで、サイモン・フジワラは「長い年月に耐えるように、最初からフェイクの岩をいっぱい作っておこう!」なんて冗談交じりに話していました。このあとご紹介するピエール・ユイグは、作品として庭を制作したのですが、彼がパーマネント作品として庭を作ったのは、太宰府天満宮がはじめてです。その理由もまた「恒久的にメンテナンスを続けることができる場所だから」というものでした。
アートを通して、普遍を考える
- 最初にうかがった「神社や神道が、アーティストにインスピレーションを与える」という意味が、実際の作品を見ていくうちに少しずつ分かってきました。
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アンダーソン
アーティストは、私たちがふだん意識していないことについても、いろいろ質問してきます。「どうして自分で買ったのに、お守りの中身を見てはいけないの?」「1,000年に亘って信仰を守ってきたのは誰なの?」「入っちゃいけない場所って、誰が決めたの?」改めて問われると、返事に窮するものばかりです。それくらい言葉が与えられていなくて、なぜそうなのかわからない。しかしなにかの感覚はある。平安時代の歌人である西行が、伊勢神宮に詣でた時に詠んだ歌に、その感覚がよく現れていると思います。
なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる
(どなた様がいらっしゃるのかよくはわかりませんが、畏れ多くてありがたくて、ただただ涙があふれます)この「余白の多さ」がアーティストに思考を巡らせる余地を与えているのだと思います。
そこから普遍的なテーマを導き出し、作品を生みだす過程に立ち会うのは、とてもエキサイティングですよ。 - その意味では、太宰府天満宮という場所でこそ生まれ得た作品だということですね。
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アンダーソン
まさにそうですね。皆さん世界で活躍しているアーティストですが、他で見ることができる作品とは一味違ったものになっています。また、見ていただく方にとっても、神社という環境で作品と向かい合うのは、美術館での鑑賞体験とは違ってくると思います。これも神社ならではですが、ご参拝のためにいらっしゃった方が「偶然アートに出会う」という経験ができるのもユニークですよね。思いがけない作品との遭遇を楽しんでいただきたいです。
太宰府天満宮はDNAの保管庫?
- 最後に、鑑賞しがいのある作品で、これまでお話してきたことを体感したいと思います。
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アンダーソン
先ほどお話した、ピエール・ユイグの作品「ソトタマシイ」ですね。ここは庭全体が作品になっていて、その中に様々なものが存在しています。蜜蜂、蜂の巣、コンクリートの像、橙、梅、池、睡蓮、メキシコサラマンダー(ウーパールーパー)などなど。
- 不思議な空間ですね。一見すると何の関係もないものが点在しているだけに見えます。
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アンダーソン
ピエール・ユイグは、菅原道真公の御墓所である聖地として御本殿はあり続けるけれど、境内の景色が時代の変遷とともに変わってきたことに注目し、「永遠の庭」を新たに作ろうと考えました。また代々の宮司が道真公の直系の子孫で、ここを守ってきたという事実も、彼のインスピレーションの源となりました。
この庭にあるのは、天満宮の象徴である飛梅の子孫の梅の木や、「代々」の意味を持つ橙の木、モネの庭から株分けしてもらった睡蓮など、DNAを繋ぐという意味を内包する植物たちです。ウーパールーパーもまた幼形成熟(ネオテニー)という特徴を持つ生き物で、子供の姿のまま代替わりをします。
彫像は、西洋に学んだ日本の彫刻家のブロンズ像を、実際の人間大のコンクリート造りにしたもの。ここでは西洋と東洋の交わりが表現されています。彫像の頭部を構成する蜜蜂は、本来は梅の時期には活動をせず蜜を集めないのですが、この庭で飼ううちにいつか梅花から蜜を集めるのではないか、モネの睡蓮の花との混合の蜜が採集できれば、それもまた西洋と東洋が交わったものと言えるのではないか、など、幾層にもわたる意味が込められています。
様々な生物で構成されるこの庭は、パーマネント作品ではありながら天候など自然界の要因に大きく左右されるため公開時期が限られています。
- おもしろいですね。さっきまで意味を持たなかった庭が、まったく違って見えてきます。そしてこれから1,000年の間、受け継がれるうちに庭で生まれる変化もまた、作品に含まれているのでしょうね。
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アンダーソン
今日ご紹介したアーティストは、いずれも外国の作家でしたが、もちろん日本のアーティストも、太宰府天満宮で様々な作品を生み出しています。境内の作品群には、NYで活躍中のアーティスト、ミカ・タジマの作品も加わりました。
境内で見られる作品は「境内美術館」というサイトにまとめており、案内所でリーフレットもお渡ししています。
ぜひご参拝にいらっしゃった折には、そぞろ歩いて、アートとの邂逅を楽しんでください。
— 今回そぞろ歩いた場所
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本当にキラキラするけれど
何の意味もないもの Really shiny stuff that doesn’t mean anythingライアン・ガンダー © Ryan Gander
Courtesy of TARO NASU
Photo by Kei Maeda※神社の催しなどにより展示されていない場合がございます。
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ひとつの中心のその中心 THE CENTER OF A CENTER
ローレンス・ウィナー © Lawrence Weiner
Courtesy of TARO NASU
Photo by Kazuaki Koganemaru -
信仰について考える The Problem of Faith
サイモン・フジワラ © Simon Fujiwara
Courtesy of TARO NASU
Photo by Sakiho Sakai & Junko Nakata (ALBUS) -
ソトタマシイ Exomind
ピエール・ユイグ © Pierre Huyghe
Courtesy of TARO NASU, The National Museum of Modern Art, Tokyo
Photo by Kei Maeda※公開日については、境内美術館サイトの「おしらせ」をご確認ください。