境内でであうアート
本当にキラキラするけれど
何の意味もないもの
圧倒的な存在の
中心にある見えないもの
磁石に吸い寄せられた金属片でできた存在感ある球体。しかしその中心にあるはずの「磁力」は目に見えません。神社の中心にいる神様もまた見ることができません。
© Ryan Gander
Courtesy of TARO NASU
Photo by Kei Maeda
※神社の催しなどにより展示されていない場合がございます。
全て分かった
VI
考える人が
すべてわかったあと
ロダンの彫刻「考える人」が、石が摩耗するほど思考にふけった後、考えていたことが「すべてわかった」から立ち去ったのでは?と想像させる作品です。
© Ryan Gander
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
並行宇宙
虚実入り交じる伝説の
記念碑の遺跡とは
実在の第4代エジャートン男爵の、「極楽鳥を見つけた」という架空の功績を称えた石柱の残骸。虚実が入り交じることでいきいきと感じられる不思議な作品です。
© Ryan Gander
Courtesy of TARO NASU
Photo by Yasushi Ichikawa
この空気のように
柱の下に埋まっている
大切なものを想像する
柱の下に埋まっているのは、太宰府天満宮幼稚園の園児が持ち寄った「大切なもの」。今はもう見ることができないけれど、その姿やエピソードを刻まれたピクトグラムから想像することは自由です。
© Ryan Gander
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
歴史について考える
よく見るこの椅子
実はブロンズ製
境内のブロンズ製の麒麟像には、2体だったのが1体のみ残ったという歴史があります。プラスチック椅子に模したこのブロンズ作品は、未来にどう伝えられるのでしょうか?
© Simon Fujiwara
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
時間について考える
いつの時代に
つけられた手形?
子供たちがつけた手形。「古代人が洞窟に残したもの」と言われれば、そう見えてきませんか? 未来の人は、境内に残されたこの手形をどう見るのでしょうか。
© Simon Fujiwara
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
信仰について考える
祈りの場が生まれる
瞬間を想像する
コンクリート製の岩に、松葉杖が刺さっています。人々が信じれば、いつかこの場所が信仰の対象となるかもしれません。神社の生まれ方まで想像させる作品です。
© Simon Fujiwara
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
ソトタマシイ
代々続く
永遠の庭
庭には、一見脈絡のないものが点在しています。橙が「代々続く」という意味を持つように、一つひとつの背景を知ると、次第に「永遠の庭」である理由が見えてきます。
© Pierre Huyghe
Courtesy of TARO NASU, The National Museum of Modern Art, Tokyo
Photo by Yasushi Ichikawa
※公開日は、境内美術館サイトのおしらせをご確認ください。
ひとつの中心の
その中心
世界の中心は
自分がいるところ?
地域のセンターである神社に現れた「ひとつの中心のその中心」の文字。実は、あなたの立つ場所が、その瞬間には、世界や宇宙の中心であるかもしれません。
© Lawrence Weiner
Courtesy of TARO NASU
Photo by Taro Misako
エコー、ナルキッソス
(太宰府)
互いになくてはならない存在
エコーとナルキッソス
蓄光素材でできた「エコー」は、座って瞑想もできる彫刻。日中に太陽光と「ナルキッソス」という名のブラックライトを浴び、日没後に神社の森でひっそりと光を放ちます。
© Mika Tajima
Courtesy of TARO NASU
Photo by Yasushi Ichikawa