太宰府天満宮

御由緒1,100余年に亘って
受け継がれてきた信仰

太宰府天満宮は、学問・文化芸術・厄除けの神様と仰がれる菅原道真公が、
永久にお鎮まりになる御墓所の上に御社殿をいただき、日本で唯一の「菅聖庿(かんせいびょう)」として称えられています。
1,100余年の永きに亘り、今日まで大切に守り伝えられてきました。

太宰府天満宮

昌泰4年(901)、道真公は藤原氏の策謀により、大宰権帥に左遷されます。大宰府での道真公は、貧しい生活の中でも天を恨まず、人を憎まず、皇室の弥栄と国家の平安を祈られ続け、2年後の延喜3年(903)2月25日、大宰府政庁の南館(現:榎社)にて59年の御生涯を閉じられました。御遺言により、御遺骸は大宰府の地に葬られることになり、牛車に奉戴し東北の方角へ葬列を進めていたところ、にわかに牛が臥して動かなくなりました。これは道真公の思し召しに違いないと、門弟味酒安行はその地に埋葬し、祀庿(しびょう)を造営しました。延喜19年(919)には勅命により御社殿が造営され、以後幾度となく勅使が差し遣わされるなど、皇室のご崇敬を集めることとなりました。

醍醐天皇は、道真公の御生前の忠誠を思い起こされ、延長元年(923)には従二位大宰員外帥より右大臣に復され、その後、一条天皇によって、正一位左大臣さらに太政大臣を贈られます。以来「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」すなわち「天神さま」として、崇められることとなりました。

道真公の孫にあたる菅原平忠が当宮の別当職に任命されて以来、太宰府天満宮は代々菅原家直系の子孫によって守り継がれてきました。現在は道真公より数えて40代目にあたる宮司により、祭祀が厳修されています。

また、現在の御本殿は天正19年(1591)に筑前国主小早川隆景の寄進により造営されました。安土桃山時代の豪壮華麗な様式を今に伝えるものとして、国の重要文化財に指定されております。創建当初より道真公の御墓所の上に御社殿をいただく当宮は、古くより唯一「菅聖庿」と称えられ、天神信仰はじまりの地、そして全国天満宮約10,000社の総本宮として、今日も多くのご崇敬を集めています。